DJ TAKUYA OFFICIAL BLOG
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どうも~今日も暑いですね~~こんな日は冷たいもの飲んだり~歌を歌
ったり~汗ばんだり~ラジバンダリ~!!!
完全にパクリですな。パクリマクリスティー的な今日この頃、色々な事
を考えたり~悩んだり~相談したり~ラジバンダリ~的に今考えれるこ
とは全てラジバンダリ~になってしまっている者です。
いや~やばいね!!ラジバンダリ~はかなり影響されてます!!
ってことでそんな影響されマクリマクリスティーな今日はアチキに多大
な影響を与えて頂いたこの曲を紹介しましょう~~~
◆今日の一枚
【Run D.M.C.】
『Raising Hell』
[Walk this Way]
マイノリティの音楽であったラップ・ミュージックを地球上の細部にま
で浸透させ、現在の広大なヒップホップ・シーン体制への道を切り開い
た、永遠不滅のパイオニア・グループ=Run D.M.C.
クィーンズ出身の彼らはラン(Run / Joseph Simmons)とDMC(Darryl
McDaniels)、DJのジャム・マスター・ジェイ(Jam Master Jay / Jason
Mizell)による3人組のユニット。80年代初期、ランが高校在学中に兄ラ
ッセル(Russel Simmons)がDMCとのラップデュオ結成を促し、"ラン・
D.M.C.(Run D.M.C.)"と名づける。
'82年に高校を卒業すると、ジャム・マスター・ジェイをDJに迎え、'83
年にセンセーショナルなデビューシングル"It's Like That" / "Sucker
M.C.'s"をリリース。翌年には"Hard Times"や"Rock Box"等のヒットシン
グルを収録したデビューアルバム"Run D.M.C."('84)をリリースし、ゴー
ルドアルバムに認定される。'85年にリリースされた2ndアルバム"King
of Rock"もタイトル曲"King of Rock"や"You Talk Too Much"等の大ヒッ
トに恵まれ、初のプラチナムセールスを記録し押しも押されぬヒップホ
ップ / ラップ界のスーパースターの座に近づいていく。
プロデューサー、リック・ルービン(Rick Rubin)の手腕により、かつて
のラップグループには無かったロックサウンドとの融合がグループのア
イデンティティを高めていくと、1986年にリリースされたシングル曲エ
アロスミスのかつてのヒット曲をサンプリングした「ウォーク・ディ
ス・ウェイ(Walk this Way)」が大ヒットする。ハードロックとヒップ
ホップの融合、両者が共演したミュージック・ビデオ(エアロスミスと
Run-D.M.C.が壁でさえぎられており、エアロスミスが演奏を始め、ステ
ィーブンが歌おうとするも、勝手にRun-D.M.C.がラップを始める。これ
に怒ったスティーブンがマイクスタンドで壁を破壊してサビを歌い、最
終的にステージで共演という流れ)は大きな話題を呼んだ。アルバムも
200万枚を売り上げ、ラップミュージックは大衆に広く認知されることと
なる。当時人気の低迷気味だったエアロスミスもこの勢いを借りて息を
吹き返した。
その当時彼らのアディダス・スニーカー、ジャージ、カンゴール・ハッ
ト(さらにカザールのサングラス&太いゴールドチェーン)というスタイル
をキッズたちがこぞって真似し出したのだ。けしてRun D.M.C.が始祖た
るファッションではないが、それこそミドルスクール(しいてはヒップホ
ップそのもの)を象徴するスタイル。
同年にリリースされた3rdアルバム"Raising Hell"も300万枚を越す大ヒ
ットを記録。"Walk This Way"や"My Adidas"と言ったヒット曲が収録さ
れている中にも、"Peter Piper"等のヒップホップクラシックが収録され
ており、全曲を通じて3人を表現するというトータルコンセプトが完成さ
れているアルバムである。
続く1987年にリリースされた4thアルバム"Tougher Than Leather"では
よりエッジをヒップホップサウンドに寄せ、"Run's House"や"Mary,
Mary"、"Beats to the Rhyme"等のヒップホップクラシックを多数収録。
セールスのピークは前作で終えてしまったものの、ヒップホップリスナ
ーにとってはやはりクラシックアルバムとなっている。その後はシーン
のトレンド移り変わりが激しくなり、'90年に5thアルバム"Back From
Hell"のセールスも落ち込むと、DMCのアルコール中毒問題やランのレイ
プ疑惑による起訴などのトラブルが持ち上がる。が、結果DMCも中毒から
脱出し、ランも不起訴処分になり、'91年にはコンピレーションに提供し
ていた"Christmas In Hollis"や"Together Forever(Krush Groove 4)"を
含むベストアルバムをリリース。
'93年にリリースされた6枚目のオリジナルアルバム"Down with the
King"では、旬のプロデューサーであったピート・ロック(Pete Rock)やQ
ティップ(Q-Tip)らがプロダクションに参加し、多数のベテラン・新進気
鋭のアーティストがゲスト参加をした、タイトル通りの内容で復活を図
るも、評価は厳しくゴールドアルバムどまりのセ
ールスとなった。それ
からシーンの前線から遠のいてしまうが、2000年にオリジナルアルバム
として7枚目の"Crown Royal"でグループとして再集結。"Queens
Day"や"Let's Stay Together (Together Forever)"、"Simmons
Incorporated"等がミックステープやラジオなどでプレイされ、2002年に
はエアロスミスのツアーに参加するなど、オールドスクール再考のムー
ブメントも手伝い今一度再起を狙うのだが、ツアー終了後の2002年10月
30日、スタジオワークをしていたジャム・マスター・ジェイが銃撃され
他界した。その後のランとDMCの活動は決して派手ではないものの、二人
だけのライブセッションや客演などを勤めており、デビューから20年経
った今も現役として活動している。
2006年にD.M.C.はアディダスとの契約を打ち切りル・コックと契約を結
びソロ名義のアルバムを発売。
なお彼等は映像でもその活動を見ることができ、映画"Krush
Groove"('85)や4thアルバムと絡めたフィルムプロジェクト"Tougher
Than Leather"、Def Jam企画のヒップホップドキュメンタリームービ
ー"The Show"等に出演している。他方では、ジャム・マスター・ジェイ
はオニクス(Onyx)等の新人を発掘し、自身のレーベルJMJ Recordsからデ
ビューさせるプロデュース業も行っていた。50セント(50 cent)もジャ
ム・マスター・ジェイの世話になっていたのは有名な話である。
彼らが残した偉業の数々は、未来永劫語り継がれるであろう。Run
D.M.C.は間違いなく“キング・オブ・ラップ"その一言につきる。
Jam Master Jay / Jason Mizell R.I.P
多大な影響を私に与えてくれたRun D.M.C.まだ聞いたことの無い人、聞
いたことある人ももう一度1stから聞き直してみる、聞いてみるのも面白
いと思います。是非是非キング・オブ・ラップ聴いてみてください。
Run D.M.C.-Walk this Way 《PV》
伝説のPV見てください!!
そして~最近立ち上げたコミュニティにも是非是非皆さん参加協力お願いします!!
◆DIAMONDS@F.A.P
宜しくお願いします~
ハリケーンミキサー!!!byバッファローマン(キンニクマン)より…
ったり~汗ばんだり~ラジバンダリ~!!!
完全にパクリですな。パクリマクリスティー的な今日この頃、色々な事
を考えたり~悩んだり~相談したり~ラジバンダリ~的に今考えれるこ
とは全てラジバンダリ~になってしまっている者です。
いや~やばいね!!ラジバンダリ~はかなり影響されてます!!
ってことでそんな影響されマクリマクリスティーな今日はアチキに多大
な影響を与えて頂いたこの曲を紹介しましょう~~~
◆今日の一枚
【Run D.M.C.】
『Raising Hell』
[Walk this Way]
マイノリティの音楽であったラップ・ミュージックを地球上の細部にま
で浸透させ、現在の広大なヒップホップ・シーン体制への道を切り開い
た、永遠不滅のパイオニア・グループ=Run D.M.C.
クィーンズ出身の彼らはラン(Run / Joseph Simmons)とDMC(Darryl
McDaniels)、DJのジャム・マスター・ジェイ(Jam Master Jay / Jason
Mizell)による3人組のユニット。80年代初期、ランが高校在学中に兄ラ
ッセル(Russel Simmons)がDMCとのラップデュオ結成を促し、"ラン・
D.M.C.(Run D.M.C.)"と名づける。
'82年に高校を卒業すると、ジャム・マスター・ジェイをDJに迎え、'83
年にセンセーショナルなデビューシングル"It's Like That" / "Sucker
M.C.'s"をリリース。翌年には"Hard Times"や"Rock Box"等のヒットシン
グルを収録したデビューアルバム"Run D.M.C."('84)をリリースし、ゴー
ルドアルバムに認定される。'85年にリリースされた2ndアルバム"King
of Rock"もタイトル曲"King of Rock"や"You Talk Too Much"等の大ヒッ
トに恵まれ、初のプラチナムセールスを記録し押しも押されぬヒップホ
ップ / ラップ界のスーパースターの座に近づいていく。
プロデューサー、リック・ルービン(Rick Rubin)の手腕により、かつて
のラップグループには無かったロックサウンドとの融合がグループのア
イデンティティを高めていくと、1986年にリリースされたシングル曲エ
アロスミスのかつてのヒット曲をサンプリングした「ウォーク・ディ
ス・ウェイ(Walk this Way)」が大ヒットする。ハードロックとヒップ
ホップの融合、両者が共演したミュージック・ビデオ(エアロスミスと
Run-D.M.C.が壁でさえぎられており、エアロスミスが演奏を始め、ステ
ィーブンが歌おうとするも、勝手にRun-D.M.C.がラップを始める。これ
に怒ったスティーブンがマイクスタンドで壁を破壊してサビを歌い、最
終的にステージで共演という流れ)は大きな話題を呼んだ。アルバムも
200万枚を売り上げ、ラップミュージックは大衆に広く認知されることと
なる。当時人気の低迷気味だったエアロスミスもこの勢いを借りて息を
吹き返した。
その当時彼らのアディダス・スニーカー、ジャージ、カンゴール・ハッ
ト(さらにカザールのサングラス&太いゴールドチェーン)というスタイル
をキッズたちがこぞって真似し出したのだ。けしてRun D.M.C.が始祖た
るファッションではないが、それこそミドルスクール(しいてはヒップホ
ップそのもの)を象徴するスタイル。
同年にリリースされた3rdアルバム"Raising Hell"も300万枚を越す大ヒ
ットを記録。"Walk This Way"や"My Adidas"と言ったヒット曲が収録さ
れている中にも、"Peter Piper"等のヒップホップクラシックが収録され
ており、全曲を通じて3人を表現するというトータルコンセプトが完成さ
れているアルバムである。
続く1987年にリリースされた4thアルバム"Tougher Than Leather"では
よりエッジをヒップホップサウンドに寄せ、"Run's House"や"Mary,
Mary"、"Beats to the Rhyme"等のヒップホップクラシックを多数収録。
セールスのピークは前作で終えてしまったものの、ヒップホップリスナ
ーにとってはやはりクラシックアルバムとなっている。その後はシーン
のトレンド移り変わりが激しくなり、'90年に5thアルバム"Back From
Hell"のセールスも落ち込むと、DMCのアルコール中毒問題やランのレイ
プ疑惑による起訴などのトラブルが持ち上がる。が、結果DMCも中毒から
脱出し、ランも不起訴処分になり、'91年にはコンピレーションに提供し
ていた"Christmas In Hollis"や"Together Forever(Krush Groove 4)"を
含むベストアルバムをリリース。
'93年にリリースされた6枚目のオリジナルアルバム"Down with the
King"では、旬のプロデューサーであったピート・ロック(Pete Rock)やQ
ティップ(Q-Tip)らがプロダクションに参加し、多数のベテラン・新進気
鋭のアーティストがゲスト参加をした、タイトル通りの内容で復活を図
るも、評価は厳しくゴールドアルバムどまりのセ
ールスとなった。それ
からシーンの前線から遠のいてしまうが、2000年にオリジナルアルバム
として7枚目の"Crown Royal"でグループとして再集結。"Queens
Day"や"Let's Stay Together (Together Forever)"、"Simmons
Incorporated"等がミックステープやラジオなどでプレイされ、2002年に
はエアロスミスのツアーに参加するなど、オールドスクール再考のムー
ブメントも手伝い今一度再起を狙うのだが、ツアー終了後の2002年10月
30日、スタジオワークをしていたジャム・マスター・ジェイが銃撃され
他界した。その後のランとDMCの活動は決して派手ではないものの、二人
だけのライブセッションや客演などを勤めており、デビューから20年経
った今も現役として活動している。
2006年にD.M.C.はアディダスとの契約を打ち切りル・コックと契約を結
びソロ名義のアルバムを発売。
なお彼等は映像でもその活動を見ることができ、映画"Krush
Groove"('85)や4thアルバムと絡めたフィルムプロジェクト"Tougher
Than Leather"、Def Jam企画のヒップホップドキュメンタリームービ
ー"The Show"等に出演している。他方では、ジャム・マスター・ジェイ
はオニクス(Onyx)等の新人を発掘し、自身のレーベルJMJ Recordsからデ
ビューさせるプロデュース業も行っていた。50セント(50 cent)もジャ
ム・マスター・ジェイの世話になっていたのは有名な話である。
彼らが残した偉業の数々は、未来永劫語り継がれるであろう。Run
D.M.C.は間違いなく“キング・オブ・ラップ"その一言につきる。
Jam Master Jay / Jason Mizell R.I.P
多大な影響を私に与えてくれたRun D.M.C.まだ聞いたことの無い人、聞
いたことある人ももう一度1stから聞き直してみる、聞いてみるのも面白
いと思います。是非是非キング・オブ・ラップ聴いてみてください。
Run D.M.C.-Walk this Way 《PV》
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そして~最近立ち上げたコミュニティにも是非是非皆さん参加協力お願いします!!
◆DIAMONDS@F.A.P
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宜しくお願いします~
ハリケーンミキサー!!!byバッファローマン(キンニクマン)より…
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